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Jsiseに参加して。

 
 
全日程3日間の最終日は、
思わぬトラブルに見舞われ、
参加することができなかったが、
初めてJsiseに行って、
いろいろ学ぶことができた。

今日も、備忘録として、
少し、まとめておこうと思う。

まず。

そもそも、今回参加した学会は、
その名の通り、教育システムが中心で、
HPのTOPにも、こう書かれている。


 教育分野におけるコンピュータ利用等に関する
 学術研究・調査および情報交換を行い,
 コンピュータの調査・研究を援助し
 普及することを目的に昭和49年8月に設立されました
 (引用 → 教育システム情報学会より)


よって。

私が聞ける発表は限られていたけれど、
教育現場で抱えている問題には、
何かしらの類似性があり、
それは、言い換えると、
研究的にも類似していることがある、
ということで、安易に、
「先行研究ではホニャララはない」
などと言ってはいけないということを、
改めて感じたのである。

たとえば。

外国語を学ぶ場合、海外における日本語と、
国内における第二、第三外国語、
たとえば、ドイツ語やフランス語には、
語学的な側面では共通性がなくても、
言語使用機会が少ないこと、
交流相手やネイティブ教師の不足、
英語教育に比べると、限られたりソース、
などなど、環境的な側面では、
共通点が多い。

だから。

先行研究で得られた知見をまとめ、
じゃー自分の研究では何を明らかにするのか、
または何を調査するのか、もしくは実験するのか、
研究背景としての問題と、自分の研究の目的が、
きちんとつながらないと、伝わらないのだ、
ということを再確認したのだった。
これは、先日の台湾の学会、
その後のLETでも思ったこと。

そういう目線で、自分の文章を見ると、
ときに、目を覆いたくなることがあるが、
嘆いていても仕方ないので、
まず、自分の修論では、

「なぜこうなるのか?」
「こうなったら、どうなるのか?」

のような、次につながる疑問点を明確化できるよう、
そして、新たな疑問へつながる視点を見いだせるよう、
言語化していかねば、と思う。

目標だけは大きく。
志だけは、高く。

おっと、話が逸れた。

一つ目は、現場で抱える問題や課題の類似性、
研究内容の共通点をきちんとまとめる必要がある、
ということなんだけど、二つ目は、
前回のブログで書いたことと重複するが、
発表や論文の中に出てくることばの、
共通性やその前提について、である。

たとえば、前回書いた動機づけや意欲、
ということば。

そもそも、意欲を高める、
モチベーションを上げる、
というときの大前提は、

意欲が低い、または、ない

ということになる。
が、そういわれると、

本当にそうだろうか?となる。
意欲は、どの程度、
行動として表出されるのだろうか。
もしかすると、意欲が低いとか、
ないという前提は、

学生のパフォーマンス

から判断していないか?
ということような気がする。

「意欲的」と「意欲」では、
その意味合いが違うように、
もともと動機づけでは、行動はみない、
という研究が多い(はず)。
行動と動機づけを見るには、
別の指標が必要になる(はず)。

よって。

問題点の前提は、
前提として成立しているのか、
そもそも、本当に問題なのか、
それは、研究としての問題点なのか、
もしくは、現場で改善すべき問題なのか、
などなど、自分で問い続ける必要がある、
と感じた。

しかしながら。

発表や論文の研究背景、
問題点の中で多く出ているコトバは、
キーワードとして上げられていなくても、
隠れたもう一つのキーワードかもしれない、
と思った。

そう考えると。

いくつもの論文で、定義はされていないけれど、
多く用いられているコトバから、
何かしらの「需要」を見いだせるのかもしれない。
需要に対し、どう反応するか、は、
個々の立ち位置によって異なるだろうけれど、
今後、そいいうことにも気にかけてみよう、
と思えたのは、今回の学会に参加したおかげで、
かつ、大きな収穫だった気がする。

それと。

今回、聞き手として私が知りたい、
と感じたことは、新しい知見というよりも、
新しい「視点」だった、
ということに気がついた。

たぶん、それは、異なる領域だったこともあり、
何が新しいのかを知るだけの既有知識がなかった、
ということが大きな原因だと思うが、
聞いていて面白いと感じた瞬間は、

なるほど!
そういう視点もありか!

という気持ちになったときだったのである。
そういうときは、自然と、

もっと聞きたい!
質問してみたい!

という感情がわく。
いい質問をもらえるためには、
いい発表が必要だが、
いい発表をするためには、
そんなふうに、聞き手も楽しくなるような、
新たな視点や疑問を、
何かしらの形で提供・共有できることが、
重要なのかもしれない、
と思った。

ま、言うは易し、である。

そういう感じで、多くのことを考え、
また、知識としていただいた2日間だったが、
自分にとっての課題は、やはり、
このように考えたことことを、
どの程度、自己の中に取り入れ、

実行・遂行できるか

である。
知識が増えるのは楽しいし、
何かを知っていくその過程も面白い。
しかし、研究でも現場でも、
どれだけ知識があっても、
自分がそれを使いこなせなければ、

いかしきれない。

このことは、外国語学習と同じで、
どれだけ単語を覚えても、
どれだけ文法を覚えても、
使用できなければ、記憶は薄れ、
使えなくなってしまう可能性が高い、
ということだ。

知識を増やすことが、楽しいの。
別に使えなくても、いいの。

そういう文脈もある。
たとえば、趣味などである。
私のフライフィッシングなんかは、
実際、魚が釣れなくても、
川のことを知るだけでも楽しい、
フライの特性を知るだけでもいい、
という側面がある。

しかし。

こと研究や教育現現場の話になると、
今の私は、その文脈にいない。
確かに、知ることは楽しいし、
もっと知りたいと思うが、
自分自身でも、いかしていける知識が必要で、
特に学会や研究会では、
そういうことを知りたいと思うのである。

これは、実利主義?

そう考えると、学習動機の実利主義も、
いろんな意味合いがあるなと、
ちょっと動機づけについて思いを巡らせつつ、
昨日同様、書いたことを自分に置き換え、
決して傲慢にならず、でも卑下せず、
また少しずつ、足を前に出さねば、と思う。
それが、進んでいるのか、
それとも、同じ所をただ回っているか、
今はわからないけれど。
いつか、何処をどう歩いていたのか、
よく見えるときがやってくると願って。

そういうわけで、
学びの場に参加できたことに、
感謝しつつ、9月は気持ちを入れ換えて、
頑張りたいと思う。

ほんと、言うのは簡単なのである。

研究も。
お仕事も。

フライフィッシングも(笑)。




初参加の学会、初日の備忘録。

 
今日、JSiSE全国大会に行ってきた。
非会員の学生料金で。

今宵は、備忘録的ブログ。

忘れぬよう、思ったことを綴っておこう、
という感じで。

今日は、いくつかの口頭発表を聞いてきた。
聞きながら気がついたのは、
あたしは今、修士課程に身を置きつつ、
非常勤をしているのだけれど、
どちらかというと、研究的視点で見ていた、
ということ。
だから、疑問も、割と実践的というよりは、
研究的になっていたかも?
ということ。

ま、研究的といっても、
あたしはまだまだ駆け出しで、
本当に研究的か?と言われると、
思わず、ごめんなさい、
と謝りたくなるが、
敢えて、自分を棚にあげて、
今日は書いてみようと思う。
本日の1番の疑問、それは、

何をもって、意欲が向上したといえるのか?

ということ。
今日、あたしが聞いた発表では、
意欲」とか「動機」ということばが、
結構、出てきた。
興味関心がそこにあるので、
それに少しでも関連のあるものを聞きに行った、
ということもあるが、そこで感じたのは、
意欲」や「動機」が高まったということばが、
割とさらっと使われていたということ。
そして、何を持って高まったというのか、
または、向上したといえるのか、が、
割と明確ではなかった、ということ。

動機づけ研究は、心理学の領域で、
非常に多くなされており、
教育や学習においても、読んでも読んでも、
読み足りないくらいの論文が発表されている。

だから、当然、

動機づけが高まった、
学習意欲が向上した、

と、簡単にはいえないのである。

教育現場で教師が使う「意欲」と、
研究領域でいう「意欲」には、
違いがあるのではないか。

このことについては、
磯田(2005)が詳しい。


磯田貴道(2005)
「学習意欲や動機づけに関する概念の整理へ向けて」
 広島外国語教育研究(8), 85-96
論文はこちら → Cinii


外国語学習における動機づけ研究は、
Gardner & Lambert、Dörnyeiを始め、
多くの研究が行われている。
日本語教育だけでも、


縫部義憲・狩野不二夫・伊藤克浩(1995)
「大学生の日本語学習動機に関する国際調査
 -ニュージーランドの場合-」
『日本語教育』86,162-72

郭俊海・大北葉子(2001)
「シンガポール華人大学生の日本語学習の動機づけについて」
『日本語教育』110,130-139

小林明子(2008)
「日本語学習者のコミュニケーション意欲と学習動機の関連」
『広島大学大学院教育学研究科紀要』 57,248-253

郭俊海・全京姫(2006)
「中国人大学生の日本語学習の動機づけについて」
『国際センター紀要』2, 新潟大学,118-128

守谷智美(2002)
「第二言語教育における動機づけの研究動向
 ―第二言語としての日本語の動機づけ研究を焦点として」
『言語文化と日本語教育』, お茶の水女子大学,315-329


と、いろいろある。
もちろん、これは、ほんの一部に過ぎないし、
英語教育、心理学などを入れると、


Dörnyei, Z. (2001)
Teaching and researching motivation
 Longman

Deci, E. L. & Ryan, R. M. (2002)
 Handbook on Self-Determination Research
 University of Rochester Press

上淵寿(2004)
『動機づけ研究の最前線』
 北大路書房

宮本美沙子・奈須正裕編(2002)
『達成動機の理論と展開 続・達成動機の心理学』
 金子書房

堀野緑・市川伸一(1997)
「高校生の英語学習における学習動機と学習方略」
『日本教育心理学会』45,140-147

廣森友人(2006)
『外国語学習者の動機づけを高める理論と実践』
 多賀出版


もう、きりがない。
(全て順不同)

それくらい、動機づけは、
多く論文や文献があるのである。
(他の分野でも同じだと思うけど…)

だから、
「動機づけが高まった」
「意欲が向上した」
というときは、せめて、
先行研究を引いてほしい、
と思ったのだが、それは、

間違っているのだろうか?

と一瞬不安になるほど、
今日は、ほとんど、
そのことに触れられていなかった。

あたしは、この学会に初めて参加したので、
どういう発表が標準的なのか、実はよく知らない。
だから、こういう疑問自体が、
もしかすると、お門違いなのかもしれない。

ただ。

自戒の意も込めて、思うのは、
実践は、単なる報告では、
やはり厳しいのかもしれない、
ということである。

なぜなら。

最近、特にインターネットを利用したものや、
ICT関係のもの見ていると、目的は違えど、
共通していることが地味に多くあるのではないか、
という感じがするからだ。

ここらへんは、
まだ自分でちゃんとまとめていないので、
「感じがする」程度しか言えないのだけれど、
やはり、この点については、
きちんとまとめていかねば、
と、強く思うのである。

そう思うと。

外国語教育&学習では、
学習言語を使う機会がない、
または交流機会がないという理由で、
インターネット利用の有用性が言われるが、
使用機会とか交流だけでは、研究とはいえない、
と、まさにM1のとき、先生方に指摘されたことを、
思い出すのである。

そう考えると、修士もやり直したい心境だが、
それはそれとして、次の糧にするよりほかない。

っと、それはおいておいて。

やはり、「意欲」や「動機づけ」
といった心理的な側面は、
それでなくても抽象的で、難しい概念なので、
何をもって「高まった」「向上した」
といえるのかについて、すくなくても、
先行研究や定義、あるいは尺度を教えてほしい、
と思った。

というわけで。

今日は、学習意欲、動機づけ、
ということばが、あたしの中の、
キーワードだったわけだが、
感じた疑問や、こうしてほしい、
と思ったことは、

自分でもそうすべきこと

でもあるわけで、
そういう意味でも、大変勉強になった。
実践だからといって、
こんなことをしました、
だけではなく、操作的定義や、
なぜそういえるのか、
何かしらのバックグラウンドを提示したり、
他の研究を説明したりすることが、
研究では大切なんだということを、
改めて学ばせていただいた。

もちろん。

疑問だけではなく、へー!とか、
なるほど!とか、良い質問だなーとか、
色々感じられたこともあった。

ただ。

ブログには、いいことよりも、
疑問点をあげて、自分ならどうできるか、
どうやったらその疑問にこたえられるか、
を考えられるようにしたほうがいい、
と思って、今日のようなことを書いたわけであります。
すべて、自戒の意を込めて、です。

故に。

行ってよかったと思った初日でした。
よき出会いもありましたし。

そんなんで。

明日も、頑張って行ってこよう、
と思います。
明日こそは、研究室の机の鍵を、
忘れずに持っていかねば…。
↑今日、忘れて机が開けられなかったという…(泣)

ではでは、また明日。

  

研究は、毛糸。

 
研究は、絡まった毛糸のようだ。

と、最近思う。
玉結びの部分をほどき、
絡まった糸の端と端を探し、

1本の線にする。

でも、1本の線にしただけでは、
タダの毛糸でしかなく、
その糸を、再び玉の形にして、
誰もが使えるようにするのか、
それとも、自分で使って、
マフラーにするのか、
手袋にするのか、
セーターの袖に使うのか。

どんな形として、
見えるようにするのか、
常にそれを考えなくてはならない。

RQは、絡まった毛糸を、
どの形にするためにほぐすのかの、
道しるべだな、と思う。

研究と、毛糸を一緒にするな。

と言われてしまいそうだけど、
今の私には、そんなふうに見えるのだ。

あたしは、やっと、自分の研究が、
「これだ」と言えるようになってきた。
それは、答えが「これだ」
と言っているのではもちろんない。
今まで、どこかモヤモヤしていた部分が薄れ、
標識が見えてきたということだ。

あたしは、大学を出て、
ストレートに大学院にきたわけではない。
学業成績が優秀なわけでもなければ、
これだという何か秀でたものない。
将来研究者になれるとも思わない。

でも、研究はしたい。

いつか、究極の選択に迫られて、
研究ができる環境にいられない、
という日が来るかもしれないけれど、
それまでの間は、地道に諦めないで、
研究に携わりたい、
と今は強く思う。

鈍くさいあたしは、
何かができるようになったり、
理解できるようになったりすることには、
人より時間がかかるけど、
絡まった糸がほどけるまで、
時間を費やす自信はある。
手袋が編めるまで、
諦めない自信はある。

環境がそれを許す限りは、
という条件付きだけれど。

どんな絡まった毛糸が目の前にあって、
いくつ玉結びが団子になっているのか。
たとえ、その糸が途中で切れていたとしても、
何度もつなげ、何度もほぐし、
1本にし、これから何年もかけて、
形のあるものへと編み上げていこうと思った。

人が何と言おうとも、
自分はどうしたいか。
それだけなんだな、

と思う2月。

たとえ、桜は咲かなくても、
春は、必ずやってくる。


  

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